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中国に留学してから、日中戦争を起点に第二次世界大戦、
今も世界各地で続く紛争に想いをはせる時間が日常の中で増えたように思います。

南京に行くまでは、南京の人は特に反日感情が強いんじゃないかとか、
勝手なステレオタイプをもっていましたが、1年弱生活した中で、
日本人であるが故に嫌がらせをされるなんてことは一度もありませんでした。

それでも、
「日本人は歴史をちゃんと勉強していない」
「日本人は自分たちが侵略していたことを認めようとしない」

そんな言葉が中国人の親友の口から出る度に激しく反論している自分がいました。
自分が今まで学んできたことを全部否定された気分で腹立たしかったし、
中国の教科書は中国政府の意図で日中戦争に焦点をあわせてあります。
そんな偏見だらけの教科書で学んだことが正統で、
日本の教科書は間違っているという意見にどうしても納得できなかったのです。

そして、自分が戦ってもいない過去の戦争が原因で、
親友といえるくらい仲のいい友達と言い争っている自分たちが虚しくて、
突如壁を感じ、とても悲しかったのを今でも覚えています。
同時にその戦争を起こした世代とそれを解決できなかった世代に対する、
激しい憤りを感じました。まさに濡れ衣をきせられた気分でした。

日中戦争の歴史を出発点に…
慰安婦問題、靖国参拝、強制労働、韓国併合、太平洋戦争、冷戦、安保闘争。
そうやって勉強していると、第二次世界大戦だけでも様々な場面で、
戦争というものに運命を翻弄されてきた人々がいることに気がつきました。

たとえば、第二次世界大戦に翻弄された人というキーワードでは、
自分の知っている南京大虐殺と広島で原爆投下にあった被害者だけではなく、
ハワイやアメリカに移住した日系人の人々や、
日本統治下で日本人として教育された台湾人など、
数え切れないほどの人々が自分達の翻弄された歴史を語っています。

また同時に学べば学ぶほど、この戦争の原因を一点に絞ることもできず、
戦争というものは国家が存在する限り、起こりうると感じました。
国家どうしの利害や価値観の不一致が存在し続けるのはやむを得ず、
どちらか一方を悪者に仕立て上げて、責任追求すること自体無意味に思えるのです。

最終的に違うものが存在する社会で、
どうやってお互いを尊重して和やバランスを保って生きていくか、
そこが大事なのかなという気がします。

そう簡単にまとめてみても、具体的な問題になってくるととても難しいです。
例えば、自分の下の世代に歴史教育をするとき、何を教えるべきなのかという問題。

歴史は解釈の仕方が何通りもあって正直教える側の価値観がかかわってくるし、
完全に客観的な歴史なんてものは教えられないし、教える必要がないように思います。

そもそも二度と同じ悲劇が繰り返されないように、
惨事を後世へ伝えていこうという動きがありますが、すこし疑問を感じます。
こういった活動はたいてい受けた悲劇がいかに悲惨だったかに
焦点をあてていて、「伝えること」が主な目的になってしまい、
「伝えた後の先」があまり見据えられていないように感じます。
先を見ずに伝えることはただ負の感情を伝承していくだけです。

例えば戦争被害者の語り部の話にしても、必ずその当事者の主観がはいっています。
その人の立場に立てば、自分の考えが絶対的に正しいわけです。
でも、逆の立場から見れば、その語り部の話は完全に正しいとも限らない。
だからこそ歴史を教えること、語ることは難しいのかもしれません。
むしろ教えないほうがうまくやっていけるんじゃないかと思ったりします。

でも、一番重要なのは未来を見据えることだと思います。
みんなにとって一番良い未来を目指すためにはどういったアプローチをしていくべきなのか。
そこに焦点をあてて様々なことに取り組んでいくべきなのかなと思います。

うまくまとめきれていませんが、
頭のほうでもまだうまくまとまっていません。

つづく。。。笑
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